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2015年09月21日

誰にも命の尽きる日なんて分からない

少し時間が経って、気持ちも落ち着いてきたので…
この日を忘れないよう 記憶に留めておきたくて書いておく。
平成27年(2015年)9月14日(月)午後3時50分、3歳年上の兄が亡くなった。
誰から見ても、まだ若いのに…と言われる歳で逝ってしまった。
仕事を終えて帰ってきたら、母からの電話。
「カズ(兄)が…死んだよ…。」
私 絶句後
「はぁ?嘘でしょう?先月普通に会ったのに??( ̄□ ̄;)!!」

脳出血、突然の事だった。
その日は仕事が休みで、午前中、愛チャリを整備し、途中で普通に昼食を食べ、その後2階の踊り場で倒れたらしい。
母は、その時の大きな音を『片付け中の物』が倒れた音だと思い、気にもしていなかった。
暫くすると、2階からすごく大きなイビキが聞こえ始め、あまりの大きさに確認に行くと…兄が床に嘔吐して倒れていたらしい。
気道を塞がれたための大きなイビキだったのか、もっと早く見付けてあげていたら…と母は悔やんでいた。
搬送先の病院で先生に、「脳の真ん中に近い所での出血なので(MRIも出血で脳の半分が白く写っていた)、助かっても植物状態です。」という話を聞いていると、段々と脈も落ちていき、最後にはピーという無機質な音と ピクリとも動かない 直線になった脈を、モニターが映すだけになった。。

お通夜に駆けつけた際、私も叔母もその最後の様を聞いて
「足腰が悪くて手術後の、年金生活の母親にこれ以上迷惑を掛けられないって逝っちゃったんじゃない?最後の親孝行に。」と言った。

兄はここ何年も血圧が高くて薬を服用していた。
飲食業という職種故か 腎臓やら肝臓やらも悪かったらしい。
それでも、まさかこんな事になろうとは…亡くなった本人だって想像できなかっただろうと思う。
普通にお昼ご飯を食べて、作業途中になっている自転車を弄って、PCで部品を注文し、飼っている熱帯魚に餌をやり、…まだまだ生活が続くはずだった。。なのに…
志半ば、本当に 途中になってる事が色々有って、兄にとっても『不本意な死』だったと思う。

うちは3人兄妹で母子家庭。
私と妹は家を出ていて(私は県外)兄と母が家に残っていた。
いつも通りの生活から、ご飯を作ってあげる事の無くなった母が、色々世話を焼いてあげる人が居なくなった母が、家で一人きりになってしまった母が…心配。
妹に、出来るだけ家に行ってやってと言ってあるけど、私が遠くてなかなか行けないのが歯痒くて、悔しくて。
去年のお盆明けに、お義父さんが亡くなった時のお義母さんがすごく気落ちしてしまってたように、一人になってしまうって…寂しくて…すごく辛い事だと思うから。
勿論、私にとっても妹にとっても『実兄の死』は辛く・悲しいのは同じだけど、同居していた時間が長ければそれだけ寂しさも大きいと思う。

例え病気療養中だとしても(自ら絶つこと以外で)、何時、命が尽きてしまうかなんて誰にも分からない。
分からないから 辛い。
穴の空いた心を埋めるには、これからどれだけの時間が掛かるか分からない。
けど、出来るだけ早く立ち直れるよう…周りから少しずつでも補っていかないと。。ね。

私にとっての兄…私は昔、軽度のブラコンだったと思う。
中学・高校とバンドを組み、ステージでドラムを叩く姿がカッコ良くて誇らしくて…憧れで、大好きだった。
兄の影響で、音楽の趣向もHM/HR。同世代の女子からは浮いてしまい、逆に男子達とLPの貸し借りをするほど嵌った。
高校も、(兄が卒業後)同じ学校に入学し、先生に「お~、○○の妹か~。」とすぐに周知してもらえて嬉しかった。
社会人になってからは色々有って、兄の性格や生活態度がガラリと変わった気がする。
兄は、結婚してから借金や家庭を顧みない生活で、2児を儲けながらも元嫁さんに愛想を尽かされ離婚してしまった。
この頃に私自身も(言葉や態度には出さなかったが)兄を軽蔑するような出来事が多々有って、ブラコンから卒業出来ていたと思う。
その後、実家に戻りニートのような生活、多少アルバイトはしていたようだけど、ほぼ母親に養ってもらっているが如くの生活。
私も色々お金に関して迷惑を掛けられたが、国保も年金も母頼みで、事故や違反で車の免許も無くなり、母親におんぶに抱っこの兄を見て、不謹慎ながら「母より先に死んでくれたら母は楽になるのに…」と思った事も有った。

訃報を聞いて、私が思っていた事が現実になった!と、すごく自己嫌悪に陥った。
あまりに唐突でビックリしたため、呆気に取られて、悲しいという感情が…すぐには湧いて来なかった。
離婚していても親子だから…と、兄のスマホの電話帳を探し、お通夜の日に元嫁さんと甥っ子達それぞれにメッセージを送った。
「○○です。昨日兄が亡くなりました。」
暫くして元嫁さんから電話が来て、お葬式に子供達と一緒に出席してくれるという。
翌日のお葬式、十何年か振りで元嫁さん親子に再会した。
甥っ子たちはさすがに大きくなって、小さかった頃の面影が少し有るだけで随分と変わってたけど、女手で男の子2人育てるのは、親の援助があっても大変だろうのに、元嫁さんは良い意味であまり変わってなかった。
こんな兄貴で、本当に申し訳なかったと、改めて思う。
式も進み、御棺の中に眠る兄の周りに、親族で花を入れていく際、元嫁さんが泣き崩れてしゃがみ込んだ。
その姿を見て私の中でもやっと、今日を限りにもう会えない・悲しい・・という気持ちがふつふつと湧いて来て、伝う涙だけではなく『嗚咽』を伴って涙が溢れた。
兄は、きちんと払えていたかどうかは分からないけど、養育費は払っていたのだろうと思う。
子煩悩で、子供らの何かの発表会が有る時は、親に行ってやってくれと頼んだりしていたらしい。
子供らの学力や能力を「自分に似て」などど自慢してた事もあった。
離婚しても、気持ちはいつまでも父親だったんだなぁ…と思ったら、ダメダメな兄だったけど少し見直した。。

兄貴、最後に…自分の愛する家族に見送ってもらえて良かったね。
これからは彼等を 天上から見守ってあげてね。

投稿者 aki : 16:22 | コメント (0)